昭和41年03月07日 朝の御理解



 戦時中に、非国民と言う言葉を使います。ちょっと、不作に、そうない思い方やら、生き方を致しますと、お前は非国民だとして、場合によると、そういう、裁かれたり致しましたですね。日本の日本国人でありながら、日本国のものではないと云う様なんです、お前は非国民だと。本当に、そんな事をしよるとあんた非国民と言われるぞと、と言うて、まあ、ちょっと悪い事をするとそう言う風に戒められた。
 今の椛目で、本気で信心の稽古をさせて頂いておる、人達の上に、身を削り、心を削る、身を削り、心を削って信心の稽古をさせて頂くと、云う様な言葉が当てはまる時はないと。ところがまあ、果たしてお互いが身を削り、心を削りしておるだろうか。あれは吉田松陰と言う人が投獄されてから、獄所の中で、あれは確かに作ったお歌だったと思うんですけれども、「あぁすれば、こうなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂。」というておられるですね。
 こうすればあぁすればこうなると云う事が分かっておる、けれども止むに止まれぬ、例えば身は投獄され、又処刑されてもです、止むに止まれぬ自分の心の中に、それが大和魂だとこう言う訳なんですね。じっとしておられんのである。私は、此の辺に信心と信心でない思い方が、例えばその当時、忠君愛国と言った様な言葉を使いましたですね。その、国を愛すると、天皇陛下に忠義を尽くすと言う様な事が、姿勢真心と云う様なものがです、姿勢でも神に通じるというけれども、神に通じない証拠ですね。
 信心の場合は、私はそこんところが、姿勢が神様に通ずる。真で成就せんと言う事はないと仰る、成就せん時には、真が欠けたと悟れと、四神様がおっしゃっておられる。そこに信心と信心でない、いかに言葉を尽くしかっても、しておる事、成程、忠君愛国的な、精神であっても、いわゆる、おかげの世界とでない、世界の違いを感じます。皆さん、この辺分かりなるでしょうか。
 例えば、現在の椛目でです、あぁしなければおれん、と言う事がです、身を削り、心を削りと言う事になったらです、それは成程、例えあぁなっても、こうなってもままよという、いわゆる、ままよとは死んでもままよの事ぞと云う様な精神はそうではあるけれども、そこには修行しなければ、投獄にならされない。困った事にはならない。いわゆる、お徳の世界が開けて来るだけである。
 ここに違う所があるですね。例えば死生観に通じるというけれども、例えば、もと、もとなりじゃない、吉田松陰のその中からと言うても、通じてない証拠に投獄されたり、処刑されたりしておるでしょうが。しかも、その精神たりは実に推考なものである。日本の国の事を思うたらじっとしてはおられんのである。自分が今こういえば、こうすれば。もう投獄されたり、処刑されるのは分かっておるんだけれども。
 そうしなければおられないとして、その大和魂を発揮した訳なんだけれども、姿勢が神に通じてないでしょう。その分矢張り処刑されておられる。信心の場合はそこん所がですたいね、神に通ずる証拠にお徳を受けております。そこん所を焦点にして信心の稽古をさせて頂くと。私は信心には。只今申します様に、止むに止まれない、止むに止まれない大和魂とこう言う様な事を、止むに止まれない愛教精神とでも申しましょうか。
 教団なら教団の事を思う精神、んなら椛目なら、椛目にご縁を頂いておる人がです、お広前を中心に過ごさなければ、おられないと言うお広前を愛する所の、その精神そういう精神がです、身を削り心を削りと言う事になって来る時です、ね。それは、先ず精神としてはままよと言う心である。それこそ、それは死んでもよいのである、投獄されてもよいのである、処刑されてもよいのである。
 けれども、そこには処刑もなかなければ投獄もない、あるものは身に徳を受けるだけ。十分の徳を身に受けようと思えば、ままよと言う心になれよと、ままよとは死んでもままよの事ぞとこう仰る。このへんの所をです。その信心の世界とでない世界の、いわゆる、神様のおかげを受けると受けないと云う事がこのへんはっきりして来るですね。身を削り、心を削る、普通の時じゃとても出来ない、とても普通の時では、例えば、これは私の過去の信心をいうてもよいですけれども。
 いわゆる、私の非常時、私一家の非常時とであったからこそ、私共20年前の、数年前のあの修行が出来た。いわゆる、身を削り、心を削りする事が出来た様なもんです。皆さんがです、本気で愛教精神に基づいた、信心をです、出来ると国乱れて忠臣あらわると、家貧しゅうして孔子いずと、と云う様にです、今の椛目にとってです、その忠臣を必要としておる時であり、孔子を必要としておる時である。今ほどそれを、切実に求められておる時はないだろう。
 私は引き揚げて帰って参りまして、善導寺の親先生にお取次ぎを願わせて頂いた事は「どうぞ、三井教会の一番の忠義者にお取立てを頂きたい」と言う願いであった。それが段々こうして参りまして、道の上、教団。もう私は道作りと言うものを切実に感じた。もう本当におうかがましい話で御座いますよね。私位の者の信心で、例えば百何年間と言う金光教の道が続けられた。それを言わばその道はだいぶんもうそでて来た。もう行かれぬ所がでけて来た。これは教団の為にその教団の私は道作りを考えた。
 初めは一番初めは私は、私共が引き揚げて帰って来た。引き揚げて帰って来たこちらで商売をさせて頂いた、商売も出来なくなった資本もなかった何もない。惟も本当に年取って行く両親を見たり思い出ししたらですもう気が気ではなかった。こういういうならあの遅配、欠配の中に闇米も買えないと言った様な時代にです、もし両親が今でも亡くなると云う事だったら私はもう本当に一生、一生涯この事が悔いに残るだろうとせめて両親が健康でおる間になんとか道をつけたい。なんとか大坪一家を再興したい。
 ですから、両親が亡くなったらその翌日からまた元の貧乏に帰ってもいいから、どうでも一つ金持ちになりたいと言うのが私の願いであった。いわゆる親に喜んで貰たい、親に孝行したいばっかりの所から一生懸命信心にならせて頂いた。一生懸命信心させて頂いておったら、惟は、親よりももういっちょ上の親にある事に気が付いた。いわゆる、今の親先生にお届させて貰う、お広前の中心にならせ、中心と言うのは。
 いわゆる、忠義者ですね、本当のお広前の、特にあの人がおってくれなければ、でけんと云う様な存在であるおかげを頂きたい。それはどういう意味合いにおいてでも、そういう存在でありたい事をお取次ぎを願った。為にはこんな願いをして頂いておるであるから、惟位の修行はもう当たり前、こう言う願いをしておるのであるから、惟位の信心はさせて貰わにゃんというのが、であった。
 言わば信者の分際でです、例えば桂先生、福岡の初代の吉木先生、久留米の石橋先生、私のいわゆる、親教会である所の善導寺の初代の、荒巻弓次郎先生当りがです、お徳を受ける為に一生懸命信心をなさり、それこそ身を削り、心を削りなさったという修行のあとと言うものを神習わせて頂こうと。桂先生が出来なさった修行が私に出来ん筈はないと。 私はそういう気持ちであった。で
 すから本当にそれを、まあ真似事ではあるけれども、完全とその修行に取り組んだ。その時分の修行の事を、その当時お届け帳にずうっと書いておるものがありますよ、箇条書きして私は。その代わりに此の位な、そのそういう願いを持っておるからにはです、それをずうっと完全に取り組ませて頂、本気で身を削り。心を削ろうと言う信心です。それはです、言わば、親に孝行したいと言う事もです、お広前の中心になりたいと云う事もです、矢張り止むに止まれんものからであったと。
 そうして信心を進めさせて貰お話を頂きそれこそ、私は一遍久留米地区に、もう深夜で日田の堀尾先生の講演を頂いた。お説教を一日もう終日頂いたもう終日座り尽くめでお話を頂いた。その日に丁度福岡の教会に御本部から高橋正雄先生がお見える事になっておった。高橋正雄先生の話も頂きたい、それからもう夕方4時ごろですね久留米を終わらせて頂いてから、その足で電車で吉木先生ですね福岡の教会に参りました。
 福岡の吉木先生も、その、堀尾先生がみえておりましたから、こちらへ久留米の方へ見えておられました。言わば自分の所の出社ですから、そして、自分も半ばまでで、自分方には高橋先生がみえるから帰ってあった。私があちらへ参りましたら吉木先生が、「あらっあんた今日は久留米で来とったろうが」いや久留米でいま終わりましたから、こちらへ参りました。ははぁ「あんまし欲張りすぎるばい」と言うてから、まあ、冗談に言われた事がございます。
 もう、本当に欲張りでした、信心が分かりたいと言う欲はどがっしこ持っていいと思う。一日お話を頂いて、頂いても頂きたりなかった。日本で大変有名な高橋正雄先生の話が、福岡にあると言いや、矢張りそこへ道を通して、せずにお話を頂きにいった。その当時の事なんです。本当に身を削り、心を削り一生懸命と言う様な事が文字通りにそう云う様な時代で御座いましたですね。
 例えば、なら表行の上にでも、修行の上にでもです、只今申します様に、人間桂松平先生が出来なさった修行が私に出けんはずはない、他の初代がなさった、久留米の初代の石橋先生がなさったその修行がです、荒巻弓次郎先生がなさった修行がです、私に出来んはずがないと。別に道の教師になろうなんて事はその当時でも夢、夢思っていなかった私は。教団の為にもです、お広前の為にもです、親の為にもです、一生懸命になったけども、お道の教師になると言う事はほんと夢、考えてなかった。
 親に孝行したいばっかり、止むに止まれん心が一生懸命な私をならせた。所が、その上にもう一つ上の親がある事が分かった。いわゆるそれはお広前であった本気でそうそう云う様な意味合いに於いて信心の稽古どんどんさせて頂きよったらです、今度はも言わば、私に今の教団の中にです、まあそれはそうでなかったかも知れん、確かその当時そう感じたんです。今の教団の生き方では駄目だと今の金光教じゃ駄目だと。
 教組の神様の御信心がです、折角のあの素晴らしい、教祖の神様の御教え御信心が今の様な教団の生き方では駄目。本当の生き方をさせて頂いて、本当のお徳を受けて、本当のおかげを頂かなければ、頂く人が現れなければ、教祖の信心を現す事は出来ない。これは教団の道作りに私は挺進させて頂こうと云う様なです、まあ本当に、まあ、おこがましい事で御座いましょう。その、先輩の方達から見られたら、お前の様な者が何が出来るかと、それこそ、一生それを言われる、その事を言うたら、言われる様な事で御座いましょうけれども、しかし私は確かに、私は思うた。
 それから又一段と私の信心の上に一つの、もうまあ激しい信心修行が、に取り組ませて頂く事がでけた。そして、今から思わして貰う、まあ、言うならば家内も捨てた、親も捨てた、ただ道のため一本と言う事であった。私はその当時の事を何時もお話申します様に、家内に申しました。世界中で幸いのって言うたらもうお前より以外にないって私、どこのどげなんよか女子が来たっちゃ、もうお前より以外に愛する女はおらんって、もう世界一にお前を愛しておるんだと。
 けれどもね、私は私の両親はかえられないち私は言う。世界で一番大切と言う事になって来たら私は親の方が大切だと、一番愛しておらんというよりも大切と言う意味合いに於いては、親の方が大切である私は。その世界中で一番大切である親にまた私は申しました。もう私に取っては、もうあんた達はもう本当に世界で一番大切な親なんだけれどもね、けれども私は神様の仰せには背かれない。いかに家内が言うても、如何にに両親が言うても、神様の仰せには背かれないと言う精神なんです。
 いうならば、だからです、子も捨てる、親も子も、言うならば家内も捨てた事になるでしょうが、なら私を捨ててから親の所に走りなさるのですか。なら、親が私共を捨ててから神様の所に走るですかと親から言われ、家内から言われたら、そうだとこうはっきり言えた。あれは「梅田雲浜」でしたかね、妻は病床に入り、子は上に泣くという有名な詩が御座います。文字通りその様な訳で御座いました。
 けれどもですね、本当にこう親を捨て、家内を捨てた様な事で御座いますけれども、神様がちゃんと家内、家内も愛し続けさせて下さったし、親も大事にさせて、させ続けて下さったと言う事なんです。もう、現在親教会と私との場合でも、デリケートな問題がいくらも残っておりますけれどもです、必ず私は善導寺では、まあ、言うなら一番の忠義者に私はならせて頂かなければならんと今でも思うております。
 だから、それはどう見られ、どう言われてもです、矢張り私が一番の御用の頂き頭じゃなかろうかと今でも私は思うております。ね。それをどう言う風に見る人があるなら見ても仕方がありませんけれども、私の心はそうなんです。それは、しかも益々それでよいと思わない。いよいよ一番の忠、言うならば、私はあの当時5年間と言うものは親教会も捨てた事になっておりますもんね、5年間と言うものは全然お参りをしておりません、いうなら、家内も捨てた、親も捨てた、言うなら自分の親教会までも捨てた。 
 そして道一本であった。道の道修繕の為に今はそんな修繕が出来ておるかと言うと出来てもおらんので御座いますけれども、矢張りその願いと言うものは今でも捨ててはいない。皆さんお話を聞いて下さりよってですたい、信心のと信心でないいわゆる死生観に通ずる、同じ死生でありましてもですもう命を捨てる事は死生に違いないけれども、神様を抜きにした所の死生では一つも助かりと言うものがあってないでしょうが。
 本当に梅田雲浜にすれば、もう本当にその病床の家内を捨て拾うてしまわなければならない。餓えに泣いている子供を見捨ててしまって、誰も助けてはいないでしょうが。いかに私が捨てても神様が言わば、家内やら子供やらやらは何時も助けてあって下さったと云う事。どうなってもいいままよと言う心でです、道のいわゆる信心に一生懸命打ち込ませて頂いたらです、投獄される事もなかなければ、処刑される事もない。いわゆるままよと言う心というのがです、身に徳を受ける修行じゃと仰るように。
 確かにこれだけのここで人が助かったり、これだけの事が出来て行きよると云う事は、矢張り、身に徳を受けなければ出来る事じゃないと私は確信しておる。皆さんどうぞ、戦時中の非国民とか、いわゆる非常時とか、今の椛目にとって確かに非常時です、その非常時にです、果たし私は椛目の本当の会員として、まあ一つの誇りを持てれる非、信者であって非信者、非会員であって非会員と言われる様な事はなかろうか。
 果たして身を削り、心を削りしてから、その事に止むに止まれん思いで、当たっておるであろうか。どうぞ、吉田松陰のその歌の中からね、「あぁすれば、こうなるものと知りながら、止むに止まれん大和魂。」とその例えば、それをお道の信心流に言うたらです、たとえ親も子もない、どう云う事になってもです、止むに止まれんと言う精神をもってすればです。投獄される事もなかなければ、処刑される事もない、そこにあるのは御神徳の世界だと言う事です。
 それだけ違うのです、神様を対象とする者とでない者、姿勢、それを持って死生観に通ずるというではなかろうかと私は思う。自分で自分の心に誰も、あなたはここの椛目の会員だけれども、会員であってあなたは非会員だと言う者はだぁれもおりません、けれども自分で自分の心の中にです、はあぁこんぐらいのこっちゃ身を削りもしよらん、心も削りよらん、成程身は削りよるかもしれんばってん、心は削りよらん。ね。
 私はそう云う様なです、身を削り心を削りと言う事がです、何時もは出来ない。私があの難儀な私共難儀に打ち込んで、初めてそれがでけた様にです、矢張りその非常時といった時でなければです、本当の打ち込みはでけません。 それが段々その願いがです、私は親から親教会、そして道と言う様に、私の願いと言うのが大きくなっていた様に、皆さんの場合でもです、そこん所の信心が成長していかなきゃいかん。本当に自分の事自分の一家の事だけしか、もう自分はこの事だけでよいと思うたけれども。 
 現在の自分はもうお広前を中心にした、一生懸命な思いが出来る様になった、そこにあなたの信心の成長があるという訳なんです。しかも、その為に身を削り、心を削りしておるんだと、そこにはままよと言う心が、十二分にお徳を受ける事の元に、なっておったと後で気付かせて頂き、分からせて頂き、はぁお徳を受けたのはあの時、お徳を自分は受けたんだなという様なです、おかげのそういう、お徳の頂けれる、この、今の椛目の非常時をです、そう言う風に頂いて行かなければいけないと思うのですね。
   どうぞ。